すきま時間、アプリで学ぶ生け花アート

時代とアートの融合、生け花の世界へようこそ!


生け花の世界に初めて触れる皆さんに、その魅力と歴史をお伝えしたいと思います。

生け花とは、日本の伝統的なお花のアレンジメントであり、単なる装飾ではなく、一つのアートフォームとして長い歴史を持っています。
自然との調和を大切にし、お花と向かい合い生ける心は正に暮らしの中にあるアート作品となっていくのです。

それでは、生け花が誕生していく過程からお伝えさせていただきます。

生け花(いけばな)の誕生

生け花の起源は6世紀頃、中国を経由して伝わって来たインドの仏教の影響があるとされています。
インド仏教では仏様に花をお供えします。
中国は当時、宋(そう)の時代でお花を生ける技術や美意識が発展していました。

日本にはこの二つの国の影響、すなわちインドの仏様にお花をお供えすることと、中国の花への美意識が大きく影響し、お供えするお花に美と技術を求めだしました。

このような背景から「生け花」が生まれ、そして育っていくことになりました。

日本人特有の感性が育んだ生け花


古来より四季を愛でる日本人、移り変る四季と風土の中でその季節に寄せる思い、喜び、儚さといった感性がお花を生ける文化を育むことになっていきました。

屋外で見る季節の一コマを屋内でも楽しむという日本人の感性は大きな要因でした。

中国では歴史的に文化や社会の変化が激しかった時期があり、伝統的な芸術や文化が後退したり、制約されたりすることがあったことと、日本とは方向性の違いもあり、生け花という類の文化には到達はしませんでした。
中国の芸術や文化は、絵画や詩、書道などに重点が置かれていました。

日本のように花を生ける芸術が重視されることはありませんでした。

平安時代の頃


貴族社会において花は重要な要素となっていきます。
花を美しく生ける(活ける)だけでなく、花材の選び方や配置、そして季節や場面に応じた装飾方法など、独特の美意識と技術が求められました。

それは屋外で花を楽しむ為の庭への意識も高まっていきました。

室町時代から安土桃山時代になると


お寺を中心に、生ける花の独自のスタイルが確立していきます。
お寺(池坊)の僧と交流のあった千利休により生け花は茶の湯とも結びつくようになり、茶の世界でも花の生け方は独自のスタイルを育んでいきました。

江戸時代


生け花は庶民の間にも広がり、生けることへの意識や考えの異なる人達は池坊から独立し、新しく流派を立ち上げます。流派の長がその家元であって、それぞれの制度を整えていったのです。[家元制度]

時が流れ、明治時代になると


政府の働きかけで京都の女学校では生け花教授が就任し、女性が生け花を楽しむようになりました。これを機に男性よりも女性の生け花人口が増えていくことになります。

暮らしの中にある生け花文化


生け花は花の美しさだけでなく、心の美や自然との調和、一瞬の美しさを創造し、感じさせることも大切です。
そのため、一つの作品を生み出すには熟練した技術と豊かな感性が必要とされますが、屋外で見る季節の一コマを屋内でも楽しむということは暮らしの中の文化として、暮らしの中のアートとして、確立したものとなりました。

流派は増え、各流派ごとの「生け花の基本」も確立してきました。

あとがき

歴史の流れを知ると、生け花が私たちの日常の中に深く根付いていることに気付きます。器の中にたった一輪の花を置くだけでも、それは立派な生け花です。

状況や心境に合わせた生け花を通じて、暮らしの中にほんの少し、彩り豊かな空間や時間を創りませんか。

美を創造する一瞬です。

(ここで使用しました生け花の写真は現在の暮らしの中の生け花です)




庭先の植物を書斎の一角におきました。




ブルーベリーの木が紅葉しだしました。生花店にあるモダンで元気な真紅のバラの組み合わせです。


  野花人